なぜLIVEに行くのか?楽しいから、メンバーが生で見られるから、日頃の嫌なことを忘れられるから•••
人それぞれだと思うけど、ぼくがDIR EN GREYのLIVEに行き続ける理由
それは、「悟り」のためハロー。しんぺー(@s_s_p_y )です。
オフィより詳しくて、wikiよりも有用なsukekiyo情報サイト 「Gadget Zombie Parasite(ガジェットゾンビィパラサイト)」へようこそ。
ぼくがDIR EN GREYのLIVEに行く理由
LIVEで激しい曲とかが続いて、あ、ヤバいそろそろ限界かも•••とか、ふと冷静になった瞬間とかにくる、冷静な感覚
客観とも達観ともとれない頭の中の自分の声がイヤにハッキリして聞こえる。
思考が整理されていき、導き出される結論
LIVEやDIR EN GREYとは全く関係ない思考のときすらある
共感覚に近い
その思考とか到達した結論て別に曲の解釈とかってことでなく、なんで自分は嫌われてきたんだろうとか、なんで社会はこうなんだろうとか、色々で。共感覚に近いと思う。
— しんぺーMode of MACABRE (@s_s_p_y) December 16, 2014
この悟りを得るためにぼくはDIR EN GREYのLIVEに行ってます。
歌詞解釈「輪郭」
昨日の輪郭を聞いていて、ふと「悟り」が降りてきた。
最後の歌詞「無作為に振りまいた願いはただ〜」て京自身の事を歌ってるのかなと思った。
例えば活動休止中に自分の曲を客観視して聞いて、そして自分の弱さを改めて知って、でも今は歌えない。だから「願うことすら許されない」のかなと思った。
だから芸術の神であるミネルバに祈ってて。DUM SPIRO SPEROの武道館まではマイク外して訴えかけるように「ミィネェェエルブァア!!」と歌ってたのに対し、今は懐かしむように呟いてる。
それと、最後の「鬼さんこちら」からが理解できなかった。
「鬼を捕まえ私と変わ」
鬼は捕まえる側のものだし、輪郭の歌詞では「俺」という一人称できてたのに、突然「私」に変わる。
でもこう考えると理解できる。
俺=主観的に見た自分
私=客観的、第三者的に見た自分
ということは鬼から逃げてるのは【俺】で
鬼を【私が】捕まえて【私が】鬼の代わりに鬼になるってことなのかな。
俺←鬼←私
こんな構図。で、こうなる。
俺←鬼=私
あと鬼ってのは、多分死神とか死のことだと思う。この辺は古典的な表現。比喩。
つまり自分が死神になって、【俺】を追い立てる。捕まったら死ぬ。
だから最近の京、というか多分sukekiyoを具体的に発足させようとしてたあたりから【時間】て言葉を多用しだしてるんじゃねーかなと
こじつけでそういう結論にいたりました。
あと、これを裏付ける歌詞として、
「その燐火に捧げる〜」の燐火とは鬼火のことだし、やはり鬼は死神という解釈でいいはず。
「sustain the untruth」は「輪郭」のアンサーソング
あとサステインって今までどうも乗りづらいし、盛り上がる位置に持ってこられるし、バンドとしてのターニングポイントになった曲なんだろうけど、イマイチのりずれーし、そんな好きな曲じゃなかったんだけど今日泣きそうになった。
— しんぺーMode of MACABRE (@s_s_p_y) December 16, 2014
「行き着いた優しい声に」って多分、LIVEでの虜の声かな•••。そう思うと、この曲も凄い自分の弱さを剥き出しにしてる曲なのかなと。
そして、タイトルの意味である「継続する嘘」の嘘って輪郭の「羽搏くとき心音が指し示す嘘を〜」のこの「嘘」と同一の意味なのでは?とか思ったり。
そして、多分言葉通りのネガティヴなことではなくてDIR EN GREYとしての活動を含めた京自身の表現活動のことを「嘘」という言葉にしてるんじゃないか•••
考えすぎでしょうか
しんぺーはこう思った。
ここまで、一曲理解できた(気がする)のは初めて。
別に歌詞解釈なんてあっててもあってなくてもどっちでもいいと思います。
なぜなら「人は生きて行く支えになる何かを信じれば、それがその人の神になりえる。」と団長も仰ってるように
自分がそうだと思ったならきっとそれが自分の中での正なわけで
京自身も勝手に読んで解釈してくれたらってよく言ってるから
だから、これはぼくの完全な独りよがりな解釈です。
どう思いますか?
といったところで、本日は以上です。おやすみなさい。