トラウマ

「ぼっち」という言葉について。状態に名称がつくと楽な気持ちになれるという経験談

今の時代は便利。状態を表す言葉が昔より多い。

そのうちの1つが「ぼっち」という言葉。

友達がおらず、1人きりの状態を指すように使われている。

本日はこれについて経験談を交えて書きたいと思います。

「ぼっち」という言葉について

あとはほぼ同義語で隠キャという言葉。陰キャラの略で、陰気なキャラクターを意味するものと思われる。対義語は陽キャ。
学生の頃はそんな言葉はなかった。ぼくも当時は今で言う陰キャでぼっちだった。大学に友達はほとんどおらず、会話する機会があるとすれば教授と話すくらいで、1日一言も言葉を発せずに帰宅することもよくあった。
今みたいにスマホやTwitterがあったわけではないのでとにかくやることがなかった。だから確か本を読んだりしてた気がする。
学食なんかいっても一緒に食べる人もいないから、学食で買ってそのまま外にトレイを持ってでて植え込みに座って食べたりしてたのを思い出す。
これこそ、今で言うぼっちというやつだし、間違いなくいまもぼくは陰キャです。

具体的にその状態を指し示してくれるということはいいと個人的には思う。

救われた話

さらに時間を遡って高校生くらいの時、毎日鬱憤とした心持ちで毎日を過ごしていた。モヤモヤとしてイライラして、暗雲としつつも行き場のない怒りを抱えていました。

涼宮ハルヒの憂鬱の憂鬱というアニメを見ている時に、そのタイトルの英語が書いてあってそれによると、憂鬱というところをメランコリックとしていた。それを見た時モヤモヤしていたもにがふいに晴れた気がした。この感情はメランコリックと称していいものだったんだと。

そんな風に自分の感情や状態に対して名称がつけられることによって、なんとなく救われた気がしました。

簡単に名乗れることの弊害

ただ、かるがるしく名称が付けられてそれがカジュアル化するというのも問題な気がする。つまりファッション的な意味におけるメンヘラというような言葉遣いだ。
メンヘラとはつまり、精神的な疾患のある人を指す言葉であるけれでも、最近だと思い悩むことやネガティブな感情をもつことすら病んでいるとカテゴライズされて、メンヘラと自称する場合があるよう思える。

こういうのは、ステータスに対する名称付けが安易に進んだ結果ともいえなくはない。実際には精神的な病人を指すにもかかわらず、軽々しくなったためその重篤さが薄れてしまった。

個人的な結論としてはいい面もあるし悪い面もあるが、自分は救われたということ。

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しんぺーはこう思った。

なんで、こんなことに考えが至ったのかというとユーチューバーでぼっち大学生を自称する人が多いなーとふと思ったから

そういや、ぼっちとか陰キャって最近の言葉遣いだよなと考えたところからでございます。

と言ったところで本日は以上です。
おやすみなさい。

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しんぺー

ハロー。しんぺーと申します。 LIVEにいくのが好きなバンギャです。男ですが。DIR EN GREYとsukekiyoの東京公演にはだいたいおります。主にLIVEレポやガジェット関連のことをブログに書いております。フォローいただけますと幸いです。

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