昨今話題のアーティストの政治的発言について考えたことを書きます。
ぼくは好きなアーティストに政治的発言はしてほしくありません。
が、最近話題の検察庁関連の法案に対するアーティストの発言(ツイート)の件をもとに何故「好きなアーティストに政治的発言をしてほしくない」と考えるのかを自己分析してみました。
目次
なんで嫌か
主に批判的な言動に対して違和感を感じることが多いのですが、その内容は次の3つに大別できると思います。
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間違った情報を拠り所にした批判
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偏った価値観による批判
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批判が目的の批判
そして、往々にして誰かにそそのかされたり、先導されてその発言しているのでは??と勘ぐってしまう。 その結果。ファンを煽動しようとしている様に見えてしまう。
そこに違和感を感じる。
アーティストとファンは宗教に近い関係だと思うので、様々なことで良くも悪くも影響を受けることでしょう。
だからこそ、いきなりの政治的な発言をされると身構えてしまう。
常日頃からそういう発言をしたりメッセージを発信している人ならともかく、ゆるふわな言動をしてきたアーティストだったなら尚更。
そして、もし政治的発言をするなら「私はこう思います。」の枕詞が欲しい。
なぜなら、アーティストの政治的発言がファン対ファンの構造を生みだす危険があり、踏み絵として機能してしまうから。
だから、ぼくは好きなアーティストに政治的発言をして欲しくないと思っています。
ぼくの好きなアーティストはどう「政治的発言」を行なったか
DIR EN GREY 薫
DIR EN GREYの薫は「表現の自由を問う」をテーマにラジオ番組をやっていました。特に出演者には割と左寄りっぽいジョー横溝氏がいたりして、政治的な問いかけが行われることもしばしば。 そこでだったと思います。
政治的な意見を問われた際に、薫は「自分たちはそういう言葉を持たない」「(意見があるなら)楽曲を通して発信する」という旨の発言を行っていました。 今思うとロックと政治って切っても切れない構造だろうなって思いました。ロックの出自自体が反体制であり、体制とはもちろん社会構造や政治だったりします。ロックとは反抗なのです。
ただ、そうは言ってもこの薫の発言に対してぼくはものすごく信頼感を抱きました。
Angelo キリト
コロナの騒動以降定期的にYoutubeにてライブストリーミングを行なっていますが、そこでも政府に対してだったり総理大臣に対してどう考えているかの発言を行なっていました。
ただし
誰が悪いわけでもなく、文句を言ってばかりいるよりも、今どうしたらいいのか、次をどうやって切り開いていくのか。それを考えないと生き残れないフェーズに突入する。
ということをずっと伝えていたのかなと思います。
これに対しても個人的に大変パワーをもらいました。そして、このコロナの状態だからこそ、ぼくは再びキリトという人間に出会えたと思えます。Angeloの楽曲を全て聴き、今ここにいます。
自粛期間が始まり、時を同じくして始まった「深夜でキリト」というYoutubeのラジオ配信では、語りに加えて楽曲を放送することでそこに込められたメッセージをより強くしていて、そう言った意図があったようです。(最終回で言ってました。)
これって薫と共通していると思います。メッセージがあれば楽曲に込める。
ぼくが好きなアーティスト、いや、バンドマンの政治的発言はこういうものだと改めて結論付けます。
しんぺーはこう思った。
TwitterやそのほかのSNSがあるからこそ、言葉は無限に瞬時に拡散していきます。
手軽であり気軽であるからこそ、メッセージを込めるのであれば、そこだけで完結させるのはきっと難易度が高いのでしょう。
言葉は力を持っている
だからこそ、より深慮が必要でしょう。
と言ったところで本日は以上です。
おやすみなさい。