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新型コロナウィルスの影響のライブ中止に関して思うこと

sukekiyoのTOUR最終日程にあたる3月6日のO-EAST公演が中止となりました。新型コロナウィルスの影響です。
事前に事務所社長のTommyさんのツイートを目にしましたが、相当迷ってはいたみたいです。

本日はこの今の社会情勢について書きたいと思います。

新型コロナウィルスに対しての個人的印象

正直単なる風邪だろと思ってる。インフルエンザなんかよりも致死率が低そうだし、ぶっちゃけなんでこんなに大騒ぎになってるのかが謎。中国発祥で不用意に騒ぎ過ぎて、メディアの報道が加熱したせいで、世界がぶっ壊れていってるようにしか思えない。疾患があるようなお年寄りが死んでるだけで、回復して退院した人のことなんか報道すらされない。全くもっておかしい。

メディアの規制が必要だと思う

とにかくメディアを規制すべきだ。

恐怖を煽れば数字が取れて、ひたすら愚民が慄き、おかしな方向に走る。ライブハウスが感染源と嘯かれ、若者が無自覚にキャリアになっていると決め付けられる報道により、真か嘘か楽器を担いでいただけで文句を言われるなんてことがあるとかないとか。

また、親族に感染者がいて、自宅待機の要請があったにもかかわらず、故意に出歩き感染を拡大するような輩もいるらしい。感染者が出たコミュニティ周辺にて犯人探しのようなことをする動きもでてきそうな気がする。
これもメディアが不用意に恐怖を煽っているからだと思う。このままいくと最悪私刑が発生しかねない。

そして、これは自分の身にもいつ降りかかってもおかしくないことだと思う。

今こそ一致団結し大事に当たるべし

不思議なのが、今のこの状態は確実に国家危急存亡の秋なのに、国会でもそうだけど、全く関係ない話ばっかりしている。テレビ局なんかはオリンピックの放映があるだろうと思うにも関わらず、ひたすら切り取りやねじ曲げの報道で恐怖しか煽ってない。さらにはデマを流す。

全く意味がわからない。

コロナで死ぬ人間よりも経済の打撃で死ぬ人間の方が多くなりそうだし、上に書いた私刑なんか起きたらもっと増えそう。

少し考えればわかりそうなことなのに、なぜみんな一致団結して事に当たらないんだろうか。

あとちょっと愚痴だけど、感染拡大防止が叫ばれる中で迅速な対策を行わない会社。例えば弊社とか。人材不足で倒産する会社なんかもある中で、判断が後手に回るだけで企業としての責任とか魅力なんかが地に落ちることわかってないのだろうか。

本当に理解できない。

ぼくが1番恐れていること

ただの風邪と書きましたが、それでも恐れていることがあります。
それは自分を媒介に家族や親しい人に感染させてしまうこと。もともと体が弱ってたりしたら、最悪死んでしまうかもしれない。それを1番恐れています。

だから、会社の判断が遅いことに非常にイラだつ。個人的には1月末にすでにアラートを出したりもしました。にも関わらず誰も対応をおこなわなかった。準備もしてなかった。いざ始まってみたら、総務と人事の小競り合い、リモートの環境は不十分。

国より遅い判断速度。おそらくはもはや企業として生き残れないんだろうなぁ。

強制的な社会変容

大地震の時もそうでしたが、こういった状況はなかなか変わらない日本社会を強制的に変容させるものだと思います。なかなか進まなかったリモートワークや時差出勤なんかも採用されやすくなっていくんでしょうね。

無能が炙り出されるのは個人だけじゃない

リモートワークで会社側が困るのは管理の仕方だと言われています。評価が成果になるとかも言われています。そうなると、生産性の低い社員が誰か露骨にわかるようになるとか。

が、ぼくは逆も然りだと思っています。会社も同じで、無能な会社なんかはすぐにわかることでしょう。
まともな設備を用意できない、判断が遅い、在宅になった途端管理がまともにできない。これ全部会社のせい。
きちんと用意してこなかった、備えてこなかったキリギリス。東日本大震災のあとに何回地震があった?大きな台風もあったよな?オリンピックも予定されている。いったい何をしてたんだ?

何もしてこなかったって言うなら、間違いなく無能な組織なんだろうと思います。

何のために生き、何のために働くのか?

そして、ふと思った。この、会社っていう場所、労働という行為、これって何なんだろう。

社会がこんな状態にもかかわらず、社員の健康を危険にさらす会社。安全配慮義務を放棄する会社。迅速な判断やコミュニケーションをとれない組織。

そんな場所に危険を冒して出社する意味ってなんだっけ?と思った。
(ちなみにこの場合の危険というのは、色んな意味での危険。感染って事以外も)

そして、改めて思ったのは、労働とは生活のための金を手に入れるための行為である。

そして、それはライブという不可欠な非日常に身を置くために過ごす対比である。

ライブに行けない日常なんて、意味があるのか?いや、ない。

テレビのコメンテーターはストリーミングで投げ銭使えとか簡単に言う。そうじゃない。
それは擬似でしかない。実際に会場に行き、そこで過ごす時間こそ意味があるんだ。会社はその逆だろ?むしろ会社こそ擬似でいいわ。

全く逆だってことが、コロナの影響で浮き彫りになったなと思った。

しんぺーはこう思った。

今回のsukekiyoのツアーのチケットを多数持っていました。今までにないくらいの遠征をする気でいました。しかし、初日以外の参列予定のチケットを全てお譲りしました。直前までずっと迷っていましたが、ぼく以外の誰かに何かあったら自分はどういう気持ちになるんだろうと考えてやめました。後悔はしていませんが、残念に感じています。

3月後半にはDIR EN GREYのツアーも始まります。今のところ開催についてはまだ見えなさそうですが、今は1週間先の世界も見えない状態。ちょうど地震発生の翌週のような不穏さを感じます。
この世界はどうなっていくのでしょうかね。

1番重要なのは、自分の頭で考え、決断し、行動することだと思います。
だからぼくは次がいつになるかわかりませんが、次のライブに行くことに想いを馳せ、それを糧とし今は生きていたいと思います。

と言ったところで本日は以上です。
おやすみなさい。

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しんぺー

ハロー。しんぺーと申します。 LIVEにいくのが好きなバンギャです。男ですが。DIR EN GREYとsukekiyoの東京公演にはだいたいおります。主にLIVEレポやガジェット関連のことをブログに書いております。フォローいただけますと幸いです。

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