当ブログにアクセスいただき、この記事を読んでいただきありがとうございます。
ブログ開設から確か今年で7年目です。このブログは今現在「私のカワイイトラとウマ」というタイトルで運営しておりますが、改めて、何故ぼくがブログを書くのかを書いておきたいと思います。
目次
しんぺーとは
80年代に飲食店を経営する家の息子として生まれました。両親や家族がお店で忙しかったため、ゴジラガメラウルトラマン仮面ライダーなどの特撮やドラえもんなどのレンタルビデオをひたすら見せられていました。実年齢よりも古いコンテンツです。
また、祖母祖父と同居していたので(曽祖母も)時代劇もひと通りとおってきています。水戸黄門暴れん坊将軍遠山の金さん大岡越前鬼平犯科帳三匹が切るなど。
恐らくですがこう言ったところからだと思いますが、他人とは異なったものに対した興味関心が向くようになりました。
その結果、思春期にはヴィジュアル系ロックバンドにはまり、それが今なお続いている次第です。
ぼくを構成する要素「PIERROT」
ぼくの思考回路に大きく影響を与えた人間が2人、ないし3人います。
母親、爆笑問題の太田光、PIERROTのキリトです。この3人の共通点は反骨精神が強い点です。
PIERROTとは20世紀最後の大物ヴィジュアル系ロックバンドと言われたバンドです。
メジャーデビューから最速でドーム公演を果たし、インターネットも普及してなかった当時にネットやケーブルテレビ、街頭ビジョンを駆使して無観客ライブを行い、その時のネット同時アクセス数のギネス記録を叩き出したりしていました。(←これ今調べたら出てこないから違うかも)
世紀末的なコンセプトやキリスト教的な思想から進化論や遺伝子をモチーフにし、反体制的な表現をしつつも、自分たちの活動つまりはバンドとファンの関係性こそがその権力者に対する盲信者と同じ構造であることを揶揄すると言ったパラドクスを体現していました。
そのライブパフォーマンスやファンの様相は狂気じみており、ボーカルのキリトはライブ中のファンのことを「キチガイども」と呼んでいました。
あの時、レンタルビデオ屋(ウルトラマンやゴジラを借りてた店と同じ店)でPIERROTのシングルCDをレンタルしなければ、ぼくはいまこうなってはいなかったでしょう。
ぼくがレンタルしたのは「ハルカ•••」というシングルでした。家に帰って聴いた瞬間に電撃が走りました。全身鳥肌が立ったのを今も覚えています。メンバーの写真なんかが載ってなかった上にインターネットなんかもなかったので、予備情報がほとんどない状態だったのも良かったかもしれません。
とにかく、ぼくはそこから貪る様にPIERROTの載っている雑誌やその他のシングル、やがてファーストアルバムを購入し、封入特典のライブチケット予約を行い初めてライブに行くこととなります。
こうしてどっぷりとはまっていきました。
雑誌、書籍、ビデオ、ラジオ、テレビ、音源
全ての情報に目を通し、キリトがどう考え何を思って歌詞を書いたのかひたすら解釈しました。
そして気がつくと、周囲とは全く異なる価値観を持ったぼくが誕生していました。そして、周囲と違う自分を恨む様になりました。思春期特有のホルモンバランスがなす何かだったのかもしれませんが。
自分は人と違う、違う自分はダメな自分。存在してはいけない。そう考えていました。
今思うともともと資質があって、それが浮き彫りにって、それを自分で受け入れられなかったただの浸っている状態だった。
それに気がつかせて、何かを変えなくちゃいけないと思わせてくれたのもPIERROTでした。
ぼくを構成する要素「DIR EN GREY」
PIERROTというバンドはその後解散します。解散の手前では、なんとなく活動が失速というかソロ活動が増える形となっていきます。そのため少しPIERROTに対して関心が薄れてきていたのも事実です。
一方新たな拠り所としたのがDIR EN GREYです。PIERROTのライバルというような位置付けで、永らくファン同士の抗争なんかもあったとかなかったとか言います。
DIR EN GREYは、その活動の中で音楽性やビジュアルが大きく変わっていったバンドです。そのため、デビュー当初はピンとこなかったのが6uglyというミニアルバムがドンピシャきてそこから聴くようになりました。
その後赤坂ブリッツのフィルムコンサートに初めていき、同じく赤坂ブリッツ5daysのライブの2日目に参戦し衝撃を受けました。それまで行ったどのライブよりも激しく強烈でした。女子高生が空から降ってきたのも、ヒザと肩を貸して送り出して上げたのも初めての体験でした。
それから数年後にPIERROTは解散しました。
その後はDIR EN GREYにのめりこみ、年々ライブに参戦する回数も増えていきました。
PIERROTとは違い曲解釈はほとんどしません。思考すら許されないほどの激しいライブの中でフッと訪れる悟りによって解釈をするようにしています。
DIR EN GREYの場合、曲や歌詩も難解で無理に解釈しようとすることにあまり意味があるとも思えません。ライブ中にふと、「あれ、もしかしてこうなのかも」とか日常生活の自分のあの感情はこの事なのかも、と重ねる事に価値を感じています。
DIR EN GREYのライブに行く理由は、その悟りを得るため。そして、浸っていた自分の過去を忘れ去らないため。
今もDIR EN GREYはぼくが明日を生きために手を引っ張ってくれます。
何故ブログを書くのか
何者かになりたかった
具体的にはお金が欲しかった。ブログを始める前のぼくはとにかく人生に迷っていました。会社に勤めて数年、何度も何度も部署異動させられ、その都度給料は下がっていきました。
初任給よりも大きくさがったときにこれじゃダメだと思い、とにかくお金を稼ぐ方法を探し回りました。
当時は情報商材全盛の時代でしたので、YouTubeで何かしらんが儲かってるって話をする人たちが沢山いました。ほーほーと思いながらいくつか見ていて気がつきました。
こいつら肝心な事何もいわないな、メルマガに書いてあるからって言ってYouTubeではマインドセットとか抽象的なことしかいわねーな。
その中で唯一具体的な事を言う人がいてブログをやって集客がどうのということを言っていました。
ブログ?これだ!
そして、その人が言うように無料ブログサイトをいくつも作って何個か書いたりしてみました。
その後、WordPressというツールの存在を知り、さらに自分が普段見ていた「和洋風KAI」というサイトが実は個人が運営しているということをしりました。そしてそう言ったサイトを運営しているのがブロガーと呼ばれる人種なんだという事を知りました。
そして、自分でブログを書き読者に読んでもらう事で収益になるということを知りました。
そこからWordPressでこのブログを作り、初めて物が売れ会社以外で収入を得る事に成功しました。
お小遣い程度ではありますがコンスタントに稼げるようになり、自分の自信がどんどん積み上がっていくようになました。
ぼくは、ぼくが見える世界を皆に見せるための機械だ
ただ、ピークはすぐにきました。横ばい、右肩下がり。過去に比べればアクセス数も半分以下になりました。
それでもぼくがブログをやる理由は、このブログのメインコンテンツであるライブレポを読んでくれる方がいるからです。さらにぼくが考えることを表明して、それに対して反応してくれる方がいるからです。
ライブのレポートといいつつ、ぼくが考えたことや思ったことを中心とする感想に過ぎません。私小説に近いかも。おそらく純粋なライブレポとして、何があってどんなだったかを知りたければ他のブログの方が余程正確で充実していると思います。
ただ、ぼくはぼくが見た、感じたことをできれば感じて欲しいと思っています。なぜならそれこそがぼくが生で感じたライブそのものだからです。
追体験とはそういうことだと思っています。
今までとこれから
何者かになれたのか
ブログを始めた理由は収入の低さを補うためでした。そのためには多くの方に見てもらい、認知してもらういわゆる人気のブログにならないといけません。
ぼくが知ってる人気ブロガーにはファンが沢山いてフォロワー数も多い。けどぼくはそうなっていません。つまり、当初思っていた何者かにはなれていません。
多くのブロガーもそうでしょう。そしてGoogleのアルゴリズムの変動なんかもあって簡単にアクセスを集めることが出来なくなってきています。
個人でブログをやって収益を得るなんて夢のような話になりつつあります。
では何でまだブログをやるのか?収益を上げるのが難しいのに何故やるのか。
何者かになりたい
やはり、それでもぼくは何者かになりたい。
収益も欲しい。でも、当時より給料が上がって困窮する程ではなくなった。だからこそ、収益よりもまずは誰かに届き、そして何かを訴えることができるようになりたい。
ぼくの考えを表明し、それが誰かにとって影響を与えられるようになりたい。
それが今のぼくにとって、何者かです。
最後に、何故この記事を書こうと思い立ったのかというと、PIERROTのキリト、つまり今はAngeloのキリトの影響です。
最近彼のYouTubeチャンネルをずっと見ています。このコロナの世界になってから頻繁に見るようになりました。
Angeloも全部聴きました。
ぼくのカリスマは変わらずそこにいて、ずっとカリスマでした。そして再びぼくの心を強くしてくれました。
だから、何か、何か出来ないかなと思いとりあえず決意表明のつまりでこの記事を書くことにしました。
ぼくは誰かの何者かになれればと思います。