コロナで亡くなるもの無くしたもの失くしたくないもの

だいぶ落ち着いてきたというと気の緩みが言われるかもしれないが、落ち着いてきたと思う。出歩いて見ても明らかに社会は変容して、また変わり続けているように思う。 そんな中で今後完全じゃないにしても亡んで無くなっていくんだろうなというもの、存在として消失して無くなったものについて考えてみた。 そして、どんな状態になろうが失いたくないものについても。 今はレジとの間に透明なシートを立ててシールドにしているが、果たして意味があるのか。コンビニですらレジ袋が有料化するのたから、今後は袋詰めも客にやらせる様になればレジ接客はいらないだろうと思う。現に無人レジ増えてきてるし。 Amazonの無人店舗が話題になって今のところ確かアメリカにしかなかったと思うけど、そういう店舗が増えていくんじゃなかろうか。 先日、自粛明けにUNIQLOに行ったら接客付きのレジが無くなってて、客が自分で会計するタイプのセルフレジと案内の店員のみになってました。 商品を入れたカゴを台に載せると一気に値段がわかって、あとはお金払うだけみたいになってました。こっちの方が早いし楽だわ。 対面接客の特に人間を介する必要性が薄いものは滅んで亡くなるんだろうなと確信しました。 一同に介す必要性が薄い、ないしは全くないにも関わらず、そこに価値を見出す一部の古い価値観により存続させられていた文化。それが消失しました。 これは本当に痛快。 多くの人間は気がついていたのに、それを変えるための理由や力が無かったから変えられてこなかった。 それが変わった。無くなってよかったものはどんどん無くなれ。 前述の会社の飲み会などにもしかしたら価値を見出す人にとってはそれなんだろうけど、ぼくにとってはライブや美味しいご飯屋さんです。 コロナ流行り出しのころ、テレビに出てた何らかの専門家が、音楽は全く必要ありません。不要不急。いらないのでみたいなことを言ってた。 しかし、SEXX GEORGE氏は言ってた。音楽は人間の本能的なもので切り離せない。山奥の仙人ですら鼻歌歌うし原始人ですらドラミングしてた。人間の本能だと。 ぼくにとっても音楽はライブは無くてはならないものです。ステージとの間にビニール貼って、観客は無発声着座。そんなものは望まない。 魂から搾り出すような叫びと汗で立ち昇る熱気に朦朧としながら得る悟りこそライブに行く価値だし、その後の爽快感や喪失感、虚脱感の中でこそ次のライブまで生き抜こうと決心できるのだ。 コロナだろうがなんだろうが、そんなライブは欲しくない。今年今のところ最後に行ったsukekiyo赤坂公演。マスクをしての参列で思うように振る舞えなかった。ノリが悪いことにブチ切れてた京を思い出すし、あんな悔しい思いはもうしたくない。 ライブはぼくにとって失いたくないものです。 そして、 同様に美味しいご飯屋さんたちもら同様に失いたくない。 たぶんだけど、今後の社会はコロナを容認して行くしかないですと思ってる。無自覚な自分が身近な人間や誰かにとっての大切な人間を傷つけてしまうかもしれない。だとしても、経済活動を優先することで社会全体の生存率を上げる行動を取っていかないといけないのではないだろうか。 もつ怖がる時期じゃない、感染拡大の防止には配慮しつつも大切なものを守るための戦いが始まっているんだと思う。 次は今ここからだと思う。 と言ったところで本日は以上です。 おやすみなさい。 [itemlink post_id=“13430”]

6月 6, 2020 · 1 分

我々は誰かに生かされている

生態系とか、生き物の命を頂いているとかそう言うことではなく。今日もどこかの誰かのお仕事によって、我々は消費活動をすることができていると言う話です。消費するということは、生きるということで、消費無くして生きている人間など現代社会には存在しないのではないでしょうか。 例えば、必要な物資を運んでくれる物流の人たち、それわ管理販売するスーパーの人たち、注文したものを玄関先までもってきてくれる宅配業者の人たち。そして目に見えないけれど、パソコンがなぜ動くのか?電力を含むインフラがあり、ネットワークが安定運用されているからです。水道から出る水もそれを管理する人たちがいて、お風呂に入れるのもガスをかんりするひとたちがいるから。 ぼくら誰かのお仕事によって生かされているのです。 体中に酸素を運ぶ赤血球を中心に、さまざまな臓器や細胞の働きを擬人化してわかりやすいストーリーにしています。 それを見てると我々の社会も同様に不要なものは少なく、誰かは誰かのためになっているんじゃないかと強く感じました。 荒廃したアメリカのシェルターとシェルターをつなぎ、物資を運びながら大陸横断するストーリーです。SFですが。 ただ、物資を届けた時感謝の言葉をかけられ、そして次も頑張るように応援されます。人の仕事とは誰かに感謝されることが最も強いモチベーションとなるのだと感じました。 荷物を待つということは未来を信じるということ 本当にその通りだと思いました。 美味しい食事をあたたかいままに届けてくれる。 未来を持ってきれてくるお仕事です。 これがないと生きていくことができない。そして、それを支える人たちは目に見えずとも必ずいる。 誰も霞だけ喰って生きてはいけない。 今日も明日も生きていく。 と言ったところで本日は以上です。 おやすみなさい。 [itemlink post_id=“13426”]

6月 5, 2020 · 1 分

素人モノが大好きな現代の日本という国

この国は素人モノが大好きだ。専門性の話です。 翻って日本のアイドルはどうかというと、容姿は誰もが見ても美人というよりかは親しみやすい容姿で、歌唱力は基本的には求められないケースが多いように、ぼくは思います。(すまん、個人的感想ね) なぜか? また、環境に対して専門性がない人間が環境大臣を担当したりパソコンや下手したらスマホすら触った事がない老人がIT大臣を担当していたりする。 さらに、これはぼくの身の回り、つまりぼくの勤める会社だけなのかもしれないが専門性がない人間が専門職の組織の長についたりする。 果たしてこれは?? 多分日本という国は素人モノが好きなんだと思う。 就活でも専門性なんか問われないで、オーガナイザーというか「持たざる者」「すっぴん」「玉ねぎ戦士」みたいなのを大量採用する。大学で学んだ専門分野の研究など、なんも重視されません。代わりに、バイトやらサークルやらの取りまとめましたみたいな経験談が重宝されたりね。(情報古かったらすまんね) でも、源氏物語の頃からなんかそんな雰囲気あるやん?外国がどうかは知らんですけどね。 まぁ、たぶん何となくですが、アイドルとレッテルつけられてる人たちは「素人モノのプロ」なのかも知れない。本当に素人のまま居続けるわけじゃなしに、どれだけ素人感出しつつ活動続けられるのか表現なのかも知れない。 アイドルはそれでいいとして、大臣や組織の長が専門家やら専門知識無しなのはいかがなモノでしょうか。だから色々と専門家が軽んじられるんだろうね。 と思うのでした。 素人の中で専門性でレペゼンした方が絶対良いよと言われたことがありますが、そうなのかなぁ?とちょっと疑問に思います。 専門性とは素人からすると理解不能な科学ととらえられるように思います。「わぁ!なんだか解らないけどすごい!」という理解可能な魔法じゃないんですよね。「何やってるかわからないし、何がすごいかもわからない。」それが理解不能な科学、つまりは専門性なんじゃないかと思います。 が、 これ如何に。 と言ったところで本日は以上です。 おやすみなさい。 [itemlink post_id=“13420”]

6月 2, 2020 · 1 分

誹謗中傷について。匿名だろうが本名だろうがダメだと思う

テラスハウス出演者に対するネット上の匿名の誹謗中傷とその結果が取り沙汰されている。 この記事はこの件からぼくが考えたことを書きたい。 なお、最後読み返すとなんだかくだんの作品への批評を指しているのかと誤解されそうな文章ですが、そうではなく表現作品一般を指しています。予めお断りさせていただきます。 このブログを開設するにあたってまず覚悟したことは、批判されることだった。自分の考えを表明するということは、反対の思想を持つ人間と対立を生む可能性がある。 さらに、対立しなくとも何らかの反応をもらうことがある。それが称賛や共感であることもあれば、批判や非難を受けることもある。 現にブログ開設から今に至るまで、ありがたいことにその両方を受けることがあった。 そして、いわゆる誹謗中傷の類の言葉を投げつけられることもあった。 と、同時に匿名だろうが本名だろうが誹謗中傷は、芸能人だろうが、インフルエンサーだろうが、総理大臣だろうが、vtuberだろうが、個人だろうが、ダメだろうと思う。 そう思いました。 そして、批評と誹謗中傷は違う。 繰り返しになるが、作品や表現に対する批評と誹謗中傷は違う。誹謗中傷には毅然とした対処がなされるべきであるし、適切な批評であれば甘んじるべきである。ぼくはそう思っています。 言葉は力を持っている。 誰しもが使えるツールであるからこそ、使い方次第で何でもできる。 だから他人に向ける時はゆめゆめ気をつけねばと思います。 そして、さらに繰り返しとなりますが誹謗中傷は匿名だろうと本名だろうと許されるべきではないと思います。 と言ったところで本日は以上です。 おやすみなさい。

5月 27, 2020 · 1 分

壊れていくこの世界で

自分に何かできることがないか考えている。こんな状態で知らず知らずのうちに不安になって、ストレス抱えて、精神的にダメージ喰らってた。 もしかして、Twitter上で毎日見かけるような人たちもそうなのかもしれない。こんな状態でも物流を動かすべく日々働く人や医療関係者、批判されながらも上がどんなにアホでもきっと頑張ってる公務員関係者、インフラ関係者などなど。 この世界はそれぞれの人間が関係し合いながら生態系が維持されてたのだ。そんなこと全く気に求めてなかった。どっかの会社が潰れたらどっかの会社が代わりを果たす、それが資本主義だと思ってた。でもそんなことなかった。この世界の資本は人間であり、人間の資本は健康である。お金はただのツールでしかない、本当に北斗の拳じゃないけど最後の最後に残るのは心と体のみ。お金なんてお尻をふく紙にすらならん。(水吸い込まないし、ざらざらしてるから痛いしね) そしてDIR EN GREYの無観客ライブを見て励まされたり。なんか自分に出来ることはないかと強く思うようになった。普段会社で起こる目の前のことに、一喜一憂するのではなく、もっとこの社会に少しでも役に立つことをしたいと思う。今すぐに自分にできることがなんなのかわからないけど、考え続けたい。 1人1人ができることは少ないけれど、できることをやるしかない。家にいようと思う。 家にいて、自分に何ができるかを考える。おさまった時に備えて何かをするための準備をする。 今できることをやる。 それしかない。

4月 4, 2020 · 1 分

新型コロナウィルスの影響のライブ中止に関して思うこと

sukekiyoのTOUR最終日程にあたる3月6日のO-EAST公演が中止となりました。新型コロナウィルスの影響です。 事前に事務所社長のTommyさんのツイートを目にしましたが、相当迷ってはいたみたいです。 本日はこの今の社会情勢について書きたいと思います。 ...

3月 8, 2020 · 1 分

いつからだ?自分が正当に扱われる人間だと思っていたのは

コロナの影響でリモートワーク、時間差出勤を行う会社ある中で一向に対策を示さない弊社。しかも国も国で相変わらず判断が遅い。 これに対し、強い憤りを覚えた。しかし、そうじゃなかった。見方を変えたら納得できた。 ...

2月 26, 2020 · 1 分

【予言】2020年はヴィジュアル系ブーム再燃する【願望】

令和二年。今年はヴィジュアル系ブームがまた来るんじゃないのか?そう思う。年末恒例のテレビ番組「芸能人格付け」に出たゴールデンボンバー鬼龍院翔、仮面ライダーゼロワンの主題歌を西川貴教と一緒に歌ってるのはLUNA SEAのJ、ToshiやYOSHIKIなんかもテレビで目にする機会は多い。 そして、最近YouTubeにとくに力を入れ出した男がいる。Angeloのキリトだ。ぼくは、ここに2000年代前後のヴィジュアル系ブーム再燃を感じている。本日はその辺を語りたい。 ...

1月 6, 2020 · 1 分

好きなポケモンが強いポケモンって奴はいいよな

ポケモンピカチュウアンドイーブイの対戦をしてて思ったこと。 好きなポケモンが種族値高くて、対戦でも有利で、使い勝手いい人っていいよな。その時点でゲームの満足度がかなり高くなるし、何より勝つために無理して好きでもないポケモン使わなくていいし、いいよな。 ...

9月 24, 2019 · 1 分

何も拒まない。だから何も奪うな

怖い世界になった。 自分と違う反応をする者を拒絶し否定する。考え方やふるまいが違い、自分たちが信じる何かを神のように崇める。少しでも違えば焼き殺す。 ふと思い出したことがある。 HUNTER×HUNTERで出てきた流星街から外の世界に向けて発信されたメッセージ 「我々は何も拒まない。だから我々から何も奪うな」 これってそういうことだろうなと感じた。 ...

8月 4, 2019 · 1 分