最近Kpopを聴くようになったんだけど、何となく90〜00年代のビジュアル系業界っぽい気がする

最近Kpopをよく聴きます。DIR EN GREY、sukekiyoを聴いていない時はKpop聴いてます。YouTubeでMV見るのはもっぱらKpopです。 以前ならどのグループも違いがわからないし、メンバーの顔の違いもよくわからないとかって思っていました。でも、今はグループごとに特色が違ってて、全然違う音楽をやってる気がします。 で、ふと、なんとなくぼくがビジュアル系を聴き始めた時の状況に近いんじゃね?って思いました。本日はそのことについて書きたいと思います。 おすすめ全部Kpop だからいいと思ってるのかもしれません。でも、個人的にはちょっと違う気もします。きっかけはYouTubeのアルゴリズムだったとしても。 で、そのあたりの番組を深ぼってみていくと、なんでアイドルになりたいのか?とか何年練習生やっててやっとチャンスが回ってきた!とか、さらにどういう性格で、どういう得意不得意があるのかとか、そのあたりがわかりやすくなっています。 出自に当たりやすいというのは、後からファンになったものにとっては、非常にありがたいことです。 多分そういう構成になっているんだと思いますが。ただ、アルバムのタイトル曲以外は、あまり触れる機会がありません。多分その辺りが昨今のサブスクカルチャーの影響かもしれませんが。 アルバムとして、一個のかたまりとしての作品に没頭するということがありませんでした。 YouTube上で出てくる映像ももちろんタイトル曲しかないし。そこから好きになってもタイトル曲じゃない曲たちに触れるタイミングという物自体が存在しない気がします。CD買ってないから。 まぁ多少おんなじ様なものもあるかもしれませんが、どれも似通ってはいない。 パクったりするとすぐ拡がる昨今だから、ちゃんと区別できるようになっているんですかね? わからんけど でも、昔のビジュアル系みたいに、こっちは好きじゃないけど他のグループは好きというムーブが容易。 グループの中でそれぞれ役割がなんとなく見えます。バンドの担当パートもそうですが、戦隊モノの色分けにも通じるところがある気がします。 だから自分が、なんとなくこの子好きというのがしやすい。 それは外見とかだけじゃなくて。ダンスや歌や性格やら含めて。 思えばPIERROTを好きになってすぐ、メンバーの小さい頃からの歴史が書かれた本がでました。赤い表紙のやつ。タイトルわすれたけど。 あれ見て、シングル3枚目から好きになったぼくは、やっと追いついた感がありましたっけ。メンバーの個性もなんとなく掴めたし。 なんとなく、このいつでもどこでも感が当時のビジュアル系の状況ににてるなーと思った次第です。 ただし、それぞれの歴史はNiziUに比べると割と過酷。何度も何度もデビューの機会がありながらも、その都度白紙になって、それでも諦めなかった人や、一度は落選するも次の日から、すぐに練習を初め次の機会に備えてたら奇跡起きて呼び戻されて復活した人や。 それぞれの背景を思うと涙がでますわ。 ちなみに、これが日本でのニューアルバムのタイトル曲。 めちゃくちゃかっこいい。 https://youtu.be/fmOEKOjyDxU 面白いのが、自作ドルというらしく自分たちで作詞作曲を行なっているらしいです。それが、曲の説得力を増している感があります。(言葉わからんが) ...

7月 5, 2021 · 1 分

YouTuber31人宴会炎上騒動の何が悪いのかわからない

緊急事態宣言下で人気Youtuberあやなんの誕生会を開いいたとして、それが週刊紙のWEB版にて取り上げられたとして炎上している。 別に一般人だし政府関係者や公務員、医療関係者(日本医師会会長)とかじゃないんだからいいんじゃない?と思う ただこれを主張しているのもまたYouTuberだったりする。 これがよくわからない。 とりあえずはだって一般人でしょ? 確定でダメなこと。それは立ちション。これは軽犯罪だったはず。 あと給付金不正受給疑惑が店舗側にある点。この店は、YouTuberの水溜りボンドのトミーが経営する店らしい。東京都の感染拡大防止施策で時短営業してたり。で、そのような中で知り合いとは言えアルコールの提供をしていたとのこと。 ただ、会計があったのかどうかは不明なので、これはあくまで疑惑。 ここだけは、責められたりしても仕方ないところだと思う。 それ以外に関しては、受け取り手の個々人の反応でしかないし、取り扱う他のYoutuberも意見言ってるけどその人たちの感想でしかないでしょ そんだけ 悪いと思ったなら謝ればいいし。思ってないなら謝らないでいいと思うけど。 偽りの謝りは誤りな気がするけど とりあえず見る側を舐めてる感はあるよね。知らんけど スーツが取り上げてたのが至極真っ当な感想だったので最後紹介して終わります。 今回の事後対応については3つしかないと思う 悪いと思ってません 悪いと思ってません、今後もやります 悪いと思ってましたが、こっそりやりました。今後は気をつけます。 そのほかにも色々言ってたけど、クリエーター側の意見としては1番真っ当なこと言ってたかなと。 気になる方はこちらの動画をどうぞ https://youtu.be/B926oLvaEvI と言ったところで本日は以上です。 おやすみなさい。

6月 30, 2021 · 1 分

ジョジョの奇妙な冒険第5部を読んで「リーダー像」について考えた。早く転職したい

DMMブックスの70%OFFキャンペーンを利用して購入した「ジョジョの奇妙な冒険」を読んでて、改めて組織の長についての考えが思い浮かんだ。 昨今の情勢からもリーダーシップは、なんとなくすっごい大切っぽい要素である雰囲気を醸し出してる。 トップ次第で組織がどうなるかが決まる。だからこそみんなジョジョ5部読むべし。 割と5部6部は少し異色っぽい感じがして、ジョジョ好きからすると嫌厭されてる感じがするけど、ぼくは大好きです。 こういうセリフがある。 「覚悟」とは犠牲の心ではない 「覚悟」とは暗闇の荒野に進むべき道を切り開く事だ ぼくは、これこそがリーダーの本質だとこの物語を読んで理解した。 ともすればリーダーは、部下のために自己犠牲を払ったりすることが美しく見えることもあるだろう。部下の仕事を負ったり、チーム員が円滑に仕事ができるようにとの思いから自分が仕事を抱え込んでしまったり。 しかし、違う。 リーダーの仕事は「指針を示すこと」すなわち「暗闇の荒野に進むべき道を切り開く事だ」 舵取りをする人間が他のことにかまけてはいけない。 ジョジョ5部では、リーダーのその意志を引き継いだジョルノが最後はリーダーとなる。 HUNTER×HUNTERの幻影旅団ボスのクロロも同じようなこと言ってた気がする。自分が死んだら、新たなリーダーをたてて再生するだけみたいな。 これこそがリーダーの仕事なんだろうと思う。 最近ぼくの身近なリーダー、つまりはボス、要は組織の長がすっごいからなんです。 いや、マジで。 一回ここに書いたけど、書いちゃまずいだろうと思って消しました 個人的には、あんまり良くはないよねと思うばかり。 結論としては、「早く転職して〜」 きっと遠くない将来歪みが生まれるんじゃなかろうか。 と言ったところで本日は以上です。 おやすみなさい。 [itemlink post_id=“13943”]

6月 28, 2021 · 1 分

コロナ禍に振り返る自分のこと。行動することの価値を愛せ

こんにちは。絶賛転職活動をしています。 コロナコロナで、次はワクチンワクチンでSNS上ではインフルエンサー同士が持論をぶつけ合っています。嫌でも目に入るから、嫌な気持ちになります。 もうどっちでもいいし、どうでもいいじゃん。 ライブが無くなってだいぶ時間が経ち、先日久しぶりに行って思った自分の変化としては、ライブがないと日常の解像度がクソほど落ちるということです。 凄惨な事件や、正義感や自分の持ってるモラルから憤りを禁じ得ない様な出来事が毎日起きます。そして、それらはTwitterを通して目につくわけですが 正直どうでもいいと思ってしまう自分がいます。 関係ないし だから見ないふり 今までは違ってた気がします。何らかの感想を抱いて、心理的な変化が多少なりともあった。けど、ライブがない日常は、そういった感受性を削いでいっていたみたいです。 DIR EN GREYのライブ中にバックスクリーンには、世界中の悲惨な歴史の生々しい映像が流されることがあります。 なんとなく、そこでそういった映像が流されている意味が少し分かりました。 モニター越しの悲劇 それをどうやって自分ごとにするのか そして、それ触れた瞬間、実は自分と事象は切り離せないものとして内在化されているんじゃなかろうか。それを自分が関心を持つかどうか、考えるかどうか、認識するかどうかだけ何だろうなと思いました。 それらの映像が、最後京の顔の割れ目に吸い込まれて、その曲が終わるわけですが。それって、つまりそういうことなのかなと。 入社からずっと同じ会社で働いてますが、転職活動は何回かやったことはあります。 それでも転職できていなかったのは、受からなかったとか結局異動になって状況変わったからとかなわけです。そして多分スキルも経歴もさることながら、ネガティブな動機で始めたからうまくいかなかったのではと思います。 でも、今回はちょっと違ってて、自分のキャリアとかを考えてという感じです。 書類選考で落ちたり、一時面接まで行って落ちたりとかで、今のままだと転職できる感じがしません。もう少し楽勝かなと思ったのですが。 ただ、一定の評価は貰えてるところもあるっぽくて、その点自分の価値が多少なりとも知れた感じがして、収穫でした。 あと、足りないところ 明確に足りないところもよくわかりました。 友達もいない、やりたいことない、何をしていいのかもわからない、出来ることがない ただし、漠然とした不安はある そんな学生生活を送っていました。 その解決方法として、当時はまだそこまで一般的ではなかったインターンシップを通して企業での就労体験をしてみるということでした。 諸々省きますが、その結果、まず自分にもできることがあるということを知りました。そして自分には足りないことがあるということも具体化し、再認識しました。 実際に動いて見ることでその答えが見えてくるということ 行動により、言語化されていないことが具体化されたり、言語化はされているけど「本当にそうだろうか?」と言う部分が明確になったりする。 つまりそう言うことです。 自分には何が出来るのか?その経歴はどう評価されるのか?市場価値はどんなものか? それらがわかってきました。 そして足りないものも明確化してきました。 だから、足りないものを補い、足りないスキルを付けられるように努力しようと思います。 行動することの価値を愛せ そう思います。 以上です。べんべん

6月 27, 2021 · 1 分

やっとわかった。いわゆる「ていねいな暮らし」って、つまり「ジョブズのシャツ」

ていねいな暮らしって、ていねいに暮らすことだと思っていた。 例えば、 でも、そうじゃなかった。 それに気がついた。 形(カタ)とは、つまりルーティーン ルーティーンとは、自分の目的のために極力効率化された振る舞いのこと つまりは自らの形を作り、それを堅持することこそが、ていねいな暮らしなのである。 情報やコンテンツ過多の時代にもかかわらず 時間は有限 だからこそ、効率化する必要がある。 毎日同じモノを決まって着ることで、選択を捨てる。 思考しないで済む様にする そうすることで脳の負荷は低くなり、時間が生まれる。 つまりそういうこと 洗濯物を畳んだり、庭の草木に水をやったり、お料理はオーガニックをとかじゃない 心の負荷を無くす事こそが、ていねいな暮らしの本日なのだ。 通勤時間がなくなり、その時間を利用してお料理を始めました。 出汁をとり、豚肉を白菜で包み煮たりしてら食べたり、鶏ガラを数時間煮込んでみたり、晴れた日にはお布団を干したり、洗濯物を畳んだり、洗い物をちゃんとやったり でも、出社での勤務になりました。 で、最近たまたま見るようになったのが男性のルーティン動画です。難関資格取得のために毎日タイムマネジメントをして、しっかりと勉強しつつ、ジムに通ってしっかりと鍛える。 基本的にはこの繰り返しのチャンネルです。 その前までは女性のバレットジャーナルの作り方とかのチャンネルを見ていました。毎月可愛いデザインのバレットジャーナルを切って貼って作ったり、iPadでデザインしたり でも、この2つのコンテンツは本質的に同じことなんだと気がつきました。 この2つは自らの形を披露しているコンテンツなのです。 だからぼくも自分の形を作りたい。出社になったから、新たな形を作りたいと思います。 消耗品の補充 ...

5月 9, 2021 · 1 分

clubhouseがmixiみたいで鬱になる

clubhouseが話題ですが、招待してもらってちょっと聞いてみています。が、ぼくにはちょっとというか、全然合わなそうだなという話です。 今のところ完全招待制で、アカウントを持っている人が電話帳に登録されている人に対して2名招待できるというものです。 また現時点でiPhoneのみに対応しているようです。 特徴的なのは、roomという部屋を作ってそこで誰かを選んでおしゃべりをはじめます。 そこにオーディエンスがついていると、そのオーディエンスに対して発言権を与えることが可能です。 つまり、参加可能なライブ配信を行えるということです。 ちなみに実名登録制度となっています。 実名登録で、多くの人が顔写真をアイコンにしています。 じゃあ、Facebookにちかいのか?というとそうではなくmixiに近い気がします。 mixiといっても15~16年くらい前のmixiね https://twitter.com/s_s_p_y/status/1356783925801021442?s=20 みんなでワイワイしているところを、周りから眺めている感覚 そこに入りたいけど、入れない その実感 入れない惨めさとそれを良しとできない自分の卑しさ 増殖する自己嫌悪 笑顔のアイコンが一斉に自分に向けられた嘲笑のように感じます。 誰も見ていないのみ、誰かに見られている感覚 それは自分が自分を見ているわけなんですが、それがさらに孤独に感じる 加速する孤立感 だから自分にはあっていないなと思いました。 ただ、それもやめました。 なんとなく高尚なものしか許されない空気感があります。 そして評価されないものは、ゴミでしかないというような雰囲気。 そんな空気感が流れている昨今な気がします。 病むので、よっぽどじゃないとclubhouseを開こうとは思えないな・・・ もちろん有名な方々で話しているのは、ラジオとか他じゃ聞けないような面白いものがあったりしますけどね。 それは聞いてて面白いとは思います。 ただ、上に書いた通りちょっと自分には合わないなという感じがしました。 と言ったところで本日は以上です。 おやすみなさい。

2月 3, 2021 · 1 分

NiziU出演のバラエティ番組で感じた気持ち悪さ

ご存知NiziUですが、現在は日本国内を中心に活動を行なっているようです。そこで出ていればなるべく見るようにしていますが、何となく違和感を覚えたのでそのことについて書きたいと思います。 日本テレビと韓国の大手アイドル事務所JYPエンターテインメントによるアイドルオーディション番組Nizi Projectの合格者で構成されたアイドルグループです。 JYPエンターテインメントはTWICEや2PMが所属している韓国の三大アイドル事務所の1つです。 Nizi Projectは、全編に渡ってHuluで配信されており、その要約や宣伝を朝の情報番組スッキリで放送するという形で放映された。 内容は、事務所の創業者でプロデューサーのJ. Y.Park自らが審査員となり、応募者は複数回の審査でCUBEと呼ばれる点数を獲得しながら、最終選考まで進んでいくというもの。応募総数は10,000人に及び、最終的に9名が選出された。 その後、6月30日に「Make you happy」を日韓同時リリース、翌日に全世界でリリースした。正式なデビュー前にも関わらず、MVの再生数や曲のダンロード数は各国で記録的なものとなっている。 2020年12月2日に、「Step and a step」をリリースし正式にデビュー。 おそらく、NiziUを好ましく思っている世代はかなり幅広いと思われます。上は40,50代から下は10代かそれ以下まで。 なぜか?? プロデューサーのJ.Y.Parkの影響がかなり大きいでしょう。言うまでもありませんが、その名言や個人に即したアドバイス、そして何よりオーディション番組にありがちな挑戦者への罵倒や個人を傷つけたり貶めたりする発言が一切ないことでしょう。 だからこそ、朝の情報番組といっても通勤時間帯とだだかぶりにもかかわらず20−30代の男性の興味をひいているものと思います。上司の立場の人だろうが、部下の立場の人だろうが、それが理想の上司像として、働く人の琴線に触れたことは言うまでもありません。 そして、そんな番組をみていた人誰しもが感じたことでしょう。 誰にでも価値がある。頑張れば自分にも何かできるかもしれない。そして、それを認めてれる人がいるかもしれない。 また、全員日本人という点も大きいように思います。それぞれの子がまるで自分の姪っ子や親戚の子みたいな感じで感情移入したんじゃないでしょうか。サラブレッドだったり、実力があったり、そういったものも全て抱合して、最終的に素直で良い子という親しみやすさ。 これはアイドルという形での応援というよりも、親戚の子が異国の地で頑張ってる!!という感情移入の仕方に他ならない気がします。 そこでパフォーマンスをしたわけですが、その時スタジオにいたレギュラー陣からは「間違ってなかった」「ミスなしだったよ」みたいな発言がありました。これはわかる。 数ヶ月間ずっとハラハラしながら見守ってきた子たちが、今目の前で初めてのステージを踏んでいるわけですから。親心としての発言です。 しかし、他の番組はどうでしょうか。 とあるバラエティ番組で特に強い違和感を覚えました。 日本は何故か素人を尊重する文化があるように感じます。甲子園しかり、AKBしかり。何故かプロフェッショナルへの評価というものがとてつもなく低く感じます。 だからでしょうか。アイドルは、素人くささが求められます。芸能人と素人みたいなアイドルと言う構図の中で、アイドル側は見当違いの応答をすることなどが受けます。また度を越した非常識な言動や奇抜な行動が好まれます。そしてそれを芸歴が長いタレントたちが批評するという構図の番組が多いこと多いこと。 要は基本的に立場の下の人を「イジる」というやつ。 これを非常に気持ち悪いなと感じました。 多分、今までもそうだったんでしょうが。NiziUが出ているの見て自覚しました。 昨今の世界の雰囲気でもはや「イジる」という態度は果たして良いのでしょうか?文化や性質その他様々な人と人との違いを誇張して、喧伝することって、もういい加減気持ち悪くないですか?? 大昔の話ですが、PIERROTがHEY!HEY!HEY!に出た時にいじられてましたけど、多分ああいうのが高等なイジるという芸能なんだと思いました。 と言ったところで本日は以上です。 おやすみなさい。 [itemlink post_id=“13673”]

11月 23, 2020 · 1 分

瀬戸弘司とキリトに学んだコミュニケーションのたいせつさ

今の時代しか生きていないのでわからないんだけど、もしかしてコミュニケーションって太古の昔から大事だったりしたの? 大きいところだと昨今の社会情勢、小さいところだと自分の周りのコミュニティなんかを見ていて コミュニケーションってもしかしてめちゃくちゃ重要なものなんじゃないかと思うようになりました。 なぜそう思ったのかについて、いくつかの事例をご紹介します。 瀬戸弘司はYoutube界の冨樫義博 コンテンツを生み出す変わりに長期間の休養期間が必要になるという制約を負っている能力者だ。 ぼくはYoutubeを見るようになってから瀬戸弘司をずっと見ている。iPhone5Sを買うためにApple Storeに並んだ時、彼も行列に並んでいるということを知り、必死に探して写真を撮ってもらったこともある。 瀬戸弘司は悩んでいた。無理をしている自分に。 Youtubeに上げる動画では、騒ぎ散らし、面白おかしく編集を施す。本来の自分とどこかかけ離れたYoutube上の人格 しかし転機となったのはドリキンさんとの対談 ドリキンさんはサンフランシスコ在住のガジェット系のYoutuberです。エンジニアとして働いていて、散財という名目で日々新しいガジェットを購入しレビューし、使い方を試行錯誤する動画をあげています。 瀬戸弘司さんのあらゆる悩みをこのドリキンさんとの対談を契機に、あらゆる悩みが晴れ始めたようです。 また、個人的に重要だと思うのがこちらの動画。 タイトルの「ラジオの身体」という意味を小一時間かけて説明しています。 かなり簡単に要約すると以下の通り。 そして新たな動画スタイルとして自分の考えや商品紹介を一連の流れで語るvlogとしてアップをしだしました。 ...

8月 22, 2020 · 1 分

こころをひとつにするということ

他人と心を1つにすること、それが人間にとって最上の体験なんじゃないかと思った。 コロナの影響で、それまでリアルなイベントで開催されていたものが、今年はオンラインでの開催となっている。そういったオンラインでのイベントにいくつか参加して感じたことです。 そして、度肝を抜かれた。止まっていた何かが新たに動き出す感覚。ぼくの人生に何らかの影響が加わったことは間違いないと思います。 本来であれば、そこから一刻も早くライブに参戦して生で今のAngeloを感じたいところでした。しかし、当然そんなことはかなわず。 オンラインでのライブを2回見ました。 [st-card id=13237 ] しかし、そんな中独自の方法でこの時を共有する場を設けてくれました。ストリーミングでのライブだけでなく、メンバーが考えたセトリで曲を配信するオーディオストリーミングです。 中止となったぴあアリーナでのライブも同様のセトリ配信となりました。 ただ、不思議と流れてくる曲には、我々の声援が乗っかって聴こえてくるし、ライブの情景が脳内に浮かび上がってきます。Youtubeのコメント欄を見ても、それは流れるただのテキストのはずなのに、心を同じくしている人間たちが今この瞬間ここに集い、同じ感情を間違いなく抱いていると思えました。 [st-card id=post-13207 ] 歩き回るゲームのはずが、家の中でもできるゲームになっています。でもそれは、仕様変更じゃない。進化だと思います。ポケモンと同様に進化して強くなったと思っています。 この言葉に涙ぐみました。 DIR EN GREYのライブでボーカル京による「ひとつになれんのか?」という煽りがあります。 ひとつになる。 今までは、同じ会場にいて、同じように叫び、同じように拳を振り上げていた。だから感覚的に、本能的に理解していた。だから言葉での説明なんて不要でした。 ただ感じればいい。 感じたことがある人間だけがわかるそれ。 でもオンラインイベントによって、今まで明文化されていなかったなにかの存在に気がつきました。 このなにかとは、その場にいる人間で作り出す共同幻想で、他人も自分と同じ気持ちになっているハズだという確信。 ...

7月 27, 2020 · 1 分

ライブというぼくが求める日常の非日常

ライブとは、ライブとは? 画面越しに覗き込むパフォーマンスなのか?コメントにチップをつけて飛ばす盛り上がりなのか?Twitterで流れるタイムラインを眺めることなのか? 否。 ぼくが求めるライブとは、自分の痛みを絞り出す様に叫び、その果てに思いもよらない思考にたどり着くことだ。すなわち悟り。 もちろん、 半休をとって会社のビルのトイレで着替えて、靴を履き替えて、ロッカーに荷物を預けて、電車に乗って行って、早めに到着したら吉野家で牛丼食べて会場着いて、よく見かける人の顔を眺めながら開場を待つ。 あるいは、1日休みをとって物販のために早く行って、並びながら刻々と減っていく目当てのアイテムの数にドキドキしたり、やることなくとTwitter見てたり、買えたら嬉しくて、そのあとサブウェイに行ったり、時間までひたすら直をを潰したり その時の感情を含めて全てがライブだ。 この感情はおそらくライブでしか感じることができない。 ぼくはこれを求めている。これじゃないとダメなんだ。これだから行くんだ。 DIR EN GREYのライブはぼくにとってそんな場所 それがあるからその反面としてsukekiyoがあって、ライブというよりも観劇に近いと思う。映画よりもリアルでライブよりも非現実的、それがsukekiyoのライブ 現状では色んなガイドラインや刻一刻と変わる社会情勢のため、どの様な形でライブが開催されるのかはわからない。 でも、少なくともぼくが求めるライブは演者が全員フェイスシールドをしたり、ステージ前にプラスチックのシールドをたてたり、他人と触れ合わない様な間隔に立たされたりするものなんか求めない。 動くな、声を出すな(黙れと言われたこともありましたね)は慣れてる。 でもそれはそういう決まりだからそうなってるわけじゃない。動けない、声も出せない、場合によっては呼吸すら許されない様な緊張感や重厚感によってあの場の空気が支配されているからそうなっているだけ。 ガイドラインや規程で支配されているわけじゃない。 つまりそれがライブなのだということが言いたい。 それを求めてる。 ここまで書いてきてようやく分かったけど、場の空気に支配されるあの感覚。あれこそがライブでしか感じられない何かなんだと思う。よく表現される言葉使いだと一体感ってやつ。 もはや、誰かが先陣切るしかない。 コロナの死者数よりも熱中症の死者数の方が絶対多くなるだろうし、そして不況による死者はもっと多いだろうと思う。 withコロナとか軽々しく言われるけどそうじゃない。 今後の世界は傷つきながら、そして死者を出しながらでも日常を取り戻さなければいけない。そういう戦いなんだと思う。 今までは身近な人間にうつさない、うつされないようにということだった。もちろんこれからも感染拡大防止の策は必要だろうけど、でもこれからはかかっても、感染しても、普通を取り戻さなければいけない。 覚悟のフェーズだと思う。 だからって別に何かが雑にいいってわけではないけども。 と言ったところで本日は以上です。 おやすみなさい。 [itemlink post_id=“13434”]

6月 12, 2020 · 1 分