忘年会の季節です。でもぼくは今年もいきません。というか会社の飲み会はほとんどいきません。なぜなら、時間とお金と心の無駄遣いだからです。
ハロー。しんぺー(@s_s_p_y )です。
オフィより詳しくて、wikiよりも有用なsukekiyo情報サイト「Gadget Zombie Parasite(ガジェットゾンビィパラサイト)」へようこそ。
以下読むのが面倒な方のためにYoutubeで音声のみで記事解説しています。よかったらどうぞ。(Youtube:会社の忘年会や飲み会なんて出なくていい。)
今年もとかいっておいて、実は去年行きました。でも始まって15分で耐えられなくなって店の外にでて、時間を潰しに本屋に行きました。そして荷物を取りに行って帰りました。参加したので費用は取られました。時間も無駄にしました。本当にありがとうございました。
以下の無駄から解放されます。
そんなくだらないものに時間を費やすのが無駄です。 なのでいかないことで、他に時間を使えるのです。
店にもよりますが最低3000円は取られるでしょう。3000円あったら何ができますか?よく考えてみてください。マイナーバンドのチケット代くらいにはなりますし、特典なしのアルバム、中古ゲームくらいは買えるでしょう。
飲み会なんて浪費です。それなら自分の好きなものに充てましょう。
ということで出ないことで、お金の節約になります。
つまらない飲み会に参加した時のあのストレス。早く過ぎてほしい時間。しかもやっと終わったと思ったら二次会が〜とか言い出すし、「ぼくはこれで」とか言った時のあの「は?」みたいな感じ。それらすべてが心への負担になります。
飲みすぎた体は薬や寝れば治るでしょう。でも心は治りません。嫌な思いをしたら、嫌な記憶にしかなりません。
ということで心の無駄遣いです。飲み会にいかなければストレスを感じることなく平穏に過ごせます。
基本的にはありません。ないはずです。
でもそこが日本。なぜか飲み会という定期的に開催されるイベントが踏み絵になっているのです。
先日人事考課だったんですが、そのシートに「協調性」とかいう項目がありました。
仕事をする上で交渉とか調整は大切ですし、会議に遅れないように参加するとか、自分だけでなく相手の立場や仕事に関しても考えるっていうのは大切だと思います。
が、それを協調性とはいいません。当たり前のことです。
では、この協調性ということばはどういう意味か?とぼくは勘ぐるわけですが 「会社のイベント(非強制)」「飲み会」への参加だとぼくは理解しました。
どっちも参加の義務はなく、さらに業務ですらない。しかしながら、それが評価基準になっているのです。
おかしな話だ。
つまり、飲み会は会社への忠誠や仲間意識の確認に使われているのです。ここに参加しないようなら、あなたは仲間ではないのです。 しかも、忘年会とかにいたっては「今年最後だから」とか「忘年会くらいは」とかわけのわからない文句で強制されます。
よく飲みニケーション的なこといって、飲み会に参加することで仕事上も円滑な人間関係を的なことを言われます。 そんなもんクソくらえです。
仕事上の円滑なコミュニケーションだろうがなんだろうがぼくは飲み会に参加したくないんです。
ま、さすがに表立って飲み会参加が評価に影響を与えることはないと言われますが、なんらかの影響は与えていると思います。 同じような評価の人が二人並んだ時だったら、飲み会に参加する人の方が評価されるでしょう。
ま、別にいいんですけどね。
皆さん飲んでくると色々と業務中ではありえないようなことを言ったり、やったりします。 その辺で起こるサプライズな出来事が、飲み会に参加しないと認識できません。
酔った女の先輩(30代)がトイレから出てこなくなって、部長が上から入って救出したとか本当にどうでもいいですし、誰が誰と夜の街に消えていったとか•••
ちょっとだけきになります。
けど、ま、どうでもいいです。
まー部署とか会社の文化にもよるのかもしれないけど。 ぼくは飲み会っていうと自分が普段考えてることとか疑問に思ってることを話して、それに対して複数ん人からレスポンスがある場だと思ってる。そういう飲み会は参加しても得るものがめちゃくちゃあるし、自分の成長にもなる。ただただ騒ぐだけの飲み会なんて本当に嫌。
あと一番参加したくない理由は、大人数の中にいるとすごい孤独を感じるから。結局はこういうのに馴染めない自分は悪なんだって自己嫌悪に陥るから。
大衆に馴染めないぼくは結局はダメなんです。 と言ったところで本日は以上になります。おやすみなさい。