DIR EN GREYのライブに参戦したのはどうやら18ヶ月ぶりくらいっぽいです。 前回が2019年11月20日の「This Way to Self-Destruction」のツアーファイナル(新木場スタジオコースト)で、そこからはライブが開催されていなかったので、爆音上映会やオンラインのライブを除いては実に長い間ライブがない状態でした。

結論を先に書くと

やはりライブがあったからこそ日常に耐え、 そして明日を迎える勇気を持って生きていられたんだと思います。

音楽やコンサートを不要不急言った人たちは、 音楽で救われる人間がいることを知らなかったのだろうか?

メタルはガンに効くようになるっていう動画を思い出したわ。

今日この場を成立させるためにどれだけの人が関わったのか

そのことに想いを巡らせてたら、込み上げてくるものがありました。(2曲目たり)

特にToshiya。

こちらが声を出せない分、頑張っているのか、 いつもよりもコーラスの声がよく聞こえた。きっとそういう想いで叫んでいるんだろうなと思ったり。

「自分が何者かわからなくなる」 Dieの爆音上映会での発言を思い出して、きっと嬉しい気持ちなんだろうなと想像して、

また込み上げてきたり。

かと思えば、絶縁体?だったかで世界中のさまざまな怨嗟や紛争の映像が京の顔に吸い込まれていくようなやつ

あれを久しぶりに見てクラクラした。そういえばそうだった。

The World of Mercyからの朧で倒れそうな程耐えられなくて目を背けたくなるような気持ちを思い出した。そういえばそうだった。

これがライブだった。

これがDIR EN GREYのライブだった。

目を背けたくなるような現実に、目をこじ開けて見させるような。そしてその先に救いなど何もない。

それがDIR EN GREYだった。

そうでした。

久々の感覚だった。

何となくだけど、ここ数ヶ月間、凄惨な事件を聞いても特に関心を持てなかった。持たなかった。

ぼくにとってそれらはモニター越しの悲劇で、ぼくの日常には何ら影響を及ぼすことはない。

でも、ライブ中に過ぎ去っていったそれらの事件をら思い出して、唐突に色が塗られていったような感覚を覚えた。

ぼくには関係はない、だけどそこに意味を見出せた気がした。つまりそこに関係を結んだという意味。

ライブが無くても生きていけるかもしれない。だけどライブや音楽がなければ日常の解像度が格段に下がる。そこではきっと見落とすべきではないことや、高次元の何かが存在しているはず。

それらを見るためには、やはりライブがぼくにとっては欠かせない。

改めて確信した。

DOZING GREEN(Acoustic Ver.) 絶縁体 空谷の跫音 人間を被る Devote My Life CLEVER SLEAZOID DIFFERENT SENSE 赫 Ranunculus 谿壑の欲 The World of Mercy 朧 かすみ

EN. Followers OBS 落ちた事のある空 Sustain 激闇

思い起こせば去年2月のツアーは大体チケットを取っていたけど、初日以外は譲ってほぼ行かなかった。

その時はまさかここまでの世界になるとは思ってもみなかった。

早くsukekiyoも参列したい。

そしてDIR EN GREY秋のツアーでは今回叫べなかった分まで叫べるようになるのだろうか?

と言ったところで本日は以上です。 おやすみなさい。