コロナ禍に振り返る自分のこと。行動することの価値を愛せ
こんにちは。絶賛転職活動をしています。 コロナコロナで、次はワクチンワクチンでSNS上ではインフルエンサー同士が持論をぶつけ合っています。嫌でも目に入るから、嫌な気持ちになります。 もうどっちでもいいし、どうでもいいじゃん。 ライブが無くなってだいぶ時間が経ち、先日久しぶりに行って思った自分の変化としては、ライブがないと日常の解像度がクソほど落ちるということです。 凄惨な事件や、正義感や自分の持ってるモラルから憤りを禁じ得ない様な出来事が毎日起きます。そして、それらはTwitterを通して目につくわけですが 正直どうでもいいと思ってしまう自分がいます。 関係ないし だから見ないふり 今までは違ってた気がします。何らかの感想を抱いて、心理的な変化が多少なりともあった。けど、ライブがない日常は、そういった感受性を削いでいっていたみたいです。 DIR EN GREYのライブ中にバックスクリーンには、世界中の悲惨な歴史の生々しい映像が流されることがあります。 なんとなく、そこでそういった映像が流されている意味が少し分かりました。 モニター越しの悲劇 それをどうやって自分ごとにするのか そして、それ触れた瞬間、実は自分と事象は切り離せないものとして内在化されているんじゃなかろうか。それを自分が関心を持つかどうか、考えるかどうか、認識するかどうかだけ何だろうなと思いました。 それらの映像が、最後京の顔の割れ目に吸い込まれて、その曲が終わるわけですが。それって、つまりそういうことなのかなと。 入社からずっと同じ会社で働いてますが、転職活動は何回かやったことはあります。 それでも転職できていなかったのは、受からなかったとか結局異動になって状況変わったからとかなわけです。そして多分スキルも経歴もさることながら、ネガティブな動機で始めたからうまくいかなかったのではと思います。 でも、今回はちょっと違ってて、自分のキャリアとかを考えてという感じです。 書類選考で落ちたり、一時面接まで行って落ちたりとかで、今のままだと転職できる感じがしません。もう少し楽勝かなと思ったのですが。 ただ、一定の評価は貰えてるところもあるっぽくて、その点自分の価値が多少なりとも知れた感じがして、収穫でした。 あと、足りないところ 明確に足りないところもよくわかりました。 友達もいない、やりたいことない、何をしていいのかもわからない、出来ることがない ただし、漠然とした不安はある そんな学生生活を送っていました。 その解決方法として、当時はまだそこまで一般的ではなかったインターンシップを通して企業での就労体験をしてみるということでした。 諸々省きますが、その結果、まず自分にもできることがあるということを知りました。そして自分には足りないことがあるということも具体化し、再認識しました。 実際に動いて見ることでその答えが見えてくるということ 行動により、言語化されていないことが具体化されたり、言語化はされているけど「本当にそうだろうか?」と言う部分が明確になったりする。 つまりそう言うことです。 自分には何が出来るのか?その経歴はどう評価されるのか?市場価値はどんなものか? それらがわかってきました。 そして足りないものも明確化してきました。 だから、足りないものを補い、足りないスキルを付けられるように努力しようと思います。 行動することの価値を愛せ そう思います。 以上です。べんべん