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ライブというぼくが求める日常の非日常

ライブとは、ライブとは?

画面越しに覗き込むパフォーマンスなのか?コメントにチップをつけて飛ばす盛り上がりなのか?Twitterで流れるタイムラインを眺めることなのか?

否。

ぼくがもとめるライブとは

それはライブストリーミングで、無観客ライブで、ぼくが求めるライブじゃない。

ぼくが求めるライブとは、自分の痛みを絞り出す様に叫び、その果てに思いもよらない思考にたどり着くことだ。すなわち悟り。

もちろん、

半休をとって会社のビルのトイレで着替えて、靴を履き替えて、ロッカーに荷物を預けて、電車に乗って行って、早めに到着したら吉野家で牛丼食べて会場着いて、よく見かける人の顔を眺めながら開場を待つ。

あるいは、1日休みをとって物販のために早く行って、並びながら刻々と減っていく目当てのアイテムの数にドキドキしたり、やることなくとTwitter見てたり、買えたら嬉しくて、そのあとサブウェイに行ったり、時間までひたすら直をを潰したり

その時の感情を含めて全てがライブだ。

この感情はおそらくライブでしか感じることができない。

ぼくはこれを求めている。これじゃないとダメなんだ。これだから行くんだ。

ライブとは空気感に支配されること

DIR EN GREYのライブはぼくにとってそんな場所

それがあるからその反面としてsukekiyoがあって、ライブというよりも観劇に近いと思う。映画よりもリアルでライブよりも非現実的、それがsukekiyoのライブ

現状では色んなガイドラインや刻一刻と変わる社会情勢のため、どの様な形でライブが開催されるのかはわからない。

でも、少なくともぼくが求めるライブは演者が全員フェイスシールドをしたり、ステージ前にプラスチックのシールドをたてたり、他人と触れ合わない様な間隔に立たされたりするものなんか求めない。

動くな、声を出すな(黙れと言われたこともありましたね)は慣れてる。

でもそれはそういう決まりだからそうなってるわけじゃない。動けない、声も出せない、場合によっては呼吸すら許されない様な緊張感や重厚感によってあの場の空気が支配されているからそうなっているだけ。

ガイドラインや規程で支配されているわけじゃない。

つまりそれがライブなのだということが言いたい。

それを求めてる。

ここまで書いてきてようやく分かったけど、場の空気に支配されるあの感覚。あれこそがライブでしか感じられない何かなんだと思う。よく表現される言葉使いだと一体感ってやつ。

しんぺーはこう思った。

DIR EN GREYのぴあアリーナ絶対やってほしい。もちろん、今まで通りのライブとして。

もはや、誰かが先陣切るしかない。

コロナの死者数よりも熱中症の死者数の方が絶対多くなるだろうし、そして不況による死者はもっと多いだろうと思う。

withコロナとか軽々しく言われるけどそうじゃない。

今後の世界は傷つきながら、そして死者を出しながらでも日常を取り戻さなければいけない。そういう戦いなんだと思う。

今までは身近な人間にうつさない、うつされないようにということだった。もちろんこれからも感染拡大防止の策は必要だろうけど、でもこれからはかかっても、感染しても、普通を取り戻さなければいけない。

覚悟のフェーズだと思う。

だからって別に何かが雑にいいってわけではないけども。

と言ったところで本日は以上です。
おやすみなさい。

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しんぺー

ハロー。しんぺーと申します。 LIVEにいくのが好きなバンギャです。男ですが。DIR EN GREYとsukekiyoの東京公演にはだいたいおります。主にLIVEレポやガジェット関連のことをブログに書いております。フォローいただけますと幸いです。

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