ハロー。しんぺー(@s_s_p_y )です。
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PIERROTにはまって、いわゆる目覚めたのが中2の時でちょうど「ハルカ•••」がでた時でした。
周りには、GLAYとかLUNA SEAとかL'Arc-en-Cielを聞く奴とかお兄ちゃんが聴いててとかっていうのはいたけど、ピエラーは、一人もいなかった。バンギャはというとクラスにかろうじて2人いて、そのうちの1人から高値で初回版のPIERROTの今までのシングルを売ってもらったっけ。
そして、特にぼくに手ほどきをしてくれる先輩もいなくて、最初のLIVEは母親と叔母さん同伴でしたwww母親達はLIVE終わるまでどっかいってましたけどね。なんかLIVEなんて危険なところよ!って思ったみたい。実際、危険なところなんですけどねwww
で、高校に入ってからPUBLIC ENEMYのツアーとか西武ドームとか通うようになるわけです。その頃になると当時のファンクラブの、伝言ダイヤル的なものやフールズメイトとかヴィシャスのお友達紹介コーナーで文通相手見つけたりして交流は少しだけあった。LIVE会場で話しかけ、かけられたりして挨拶できるような人たちもいた。
でもやっぱり年上の女の人ばかりだったり、自分がコミュ障だったりで仲良くなれる人とかはいなかった。
だからLIVEに行くだけだった。
それに、付随する楽しみは一切感じたことはない。
LIVE前後にカラオケ行ったり、ご飯食べ行ったり、橋にたむろったり、インスト一緒にいったり、ラフォーレのバーゲン行ったり、NKのLIVE前はディズニーランド行ったりとかそういうのなかった。
しかもPIERROTのメジャー以降スタートのバンギャ人生。
中途半端。それよりもら前の歴史知らないし、LUNA SEAとかも、聴いたことないし、Xとかもってのそか。
だからぼくの立ち位置はいつも中途半端なぼっちなのでした。
いるよね?たまにLIVEに1人で来て、ぼーっとしてる男のコ
LIVE慣れしてるけどどこかきょどってる。
それ、当時のぼくです。
そして今もそれはあんま変わらないかな
しんぺーはこう思った。
なんで、ふとこんなこと思ったかというと、こちらの記事がきっかけ。
Vol.2:苑(摩天楼オペラ) | Vif
増田さんインタビューのPIERROTに影響を受けた人たちの記事
こんなことがあったなど全く知らない。PIERROTに関しては目で見たことしか知らない。
だからこそやっぱり、フィルムギグは行くべきなのかも
そんなことを思ったのでした。
といったところで、本日は以上です。おやすみなさい。